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ひばの里

ひばの里は明治時代の日本を再現しています

d48638a9.jpeg

子供の頃 囲炉裏はありませんでしたが
おくどさんはありました

zenzai.JPG

醤油やお酒は こんな徳利にはいっていましたね

miyosi.JPG

こちらの雛飾りは 三次人形です
故郷の長浜から上下町 それから三次へと伝えられた人形です

f3e9b59d.jpeg

縁側に雛あられもほしてありました

043035aa.jpeg

障子にこんなふうに灯り窓 ありましたよね
雪灯りです

kotatu.JPG

この掘りごたつでぜんざいを食べました
杵つきの大きなお持ちが入ってあずきもたっぷり
甘みも程よく とても美味しいのです
牡丹よりぜんざいで毎年でかけます

冬咲き牡丹をもう少し


turara.jpg

牡丹と言えばこれ 牡丹色

botana.jpg

この色もかわいいね

tanpo.JPG

おおさむ こさむ だいじょうぶかな
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Comment

yassyさんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-08 07:46
  • edit
イルミネーションは冬の夜景としては美しいのでしょうが
昼間の景観はぶちこわしになっていました
広場に作られたでっかい看板 ホテルの絵が描いてあるのですが
里山の景観を壊してしまって
とてもセンスの悪い絵でした よくみたらイルミネーションの
ライトが張り巡らされて これがイルミねと気がつきました

小夏ちゃんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-08 07:42
  • edit
こなつさん うっかりまちがえないようにしないとね
このひなあられ 出来上がったころ食べに行きたいと思いましたよ
素朴な色で何で色付けしているのかききたいとも思いました
三次人形の故郷が私の故郷の長浜人形だと知って
親近感を感じます
去年県境の上下町のひな祭りに行った時
同じような人形があってその起源を教えてもらったのです

無題

ひばの里はイルミネーションの行われていたところですね。
水車のあたりの幻想的な写真を撮ってきています。
規模が大きくて贅沢な空間でした。
満濃公園のイルミネーションも豪華でした。
どちらも国立公園。
古いよい物をこうして残していただけるといいですね。

無題

  • 小夏
  • 2011-02-07 21:21
  • edit
あらっ!こなつさんがいらっしゃったわ~。

懐かしいな~、ひなあられ。
田舎育ちの私、祖母がこんな風に作ってくれていました。
とてもおいしかったですねえ。

可愛らしいお雛様なんですね。三次の雛って。

pomoちゃんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-07 19:13
  • edit
そう おくどさんというのです
もろぶたはつきたてのお餅もならべました
醤油を作る時 味噌を作る時
麹を働かせるのにもろぶたにいれて むろ にねかせてありました
石臼は大豆をひいてきな粉に
米をひいて米子にしました
私もよく祖母の手伝いをしましたよ
いい時代でした

山小屋さんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-07 19:07
  • edit
ふるさとでは囲炉裏のあるうちはあまりありませんでした
その焼き卵はじめてききますが
風呂のたき口に薪を並べて座り
父と二人 親子話をしながら 焼き芋が焼けるのを待つのが
好きでした そのとき知っていたら焼き卵を作ったのにね
もう薪の五右衛門風呂もなくなって残念です
3月の初旬には福寿草が咲き始めるでしょうね
節分草もいっしょですね

こなつさんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-07 18:58
  • edit
周防の国といえば山口県ですね
東京から蒸気機関車でしたか?
私は学生時代 山陰線の浜田から東京まで
特急寝台出雲号でした 遠かったですよ
そうですね おくどさんの火をおこすとき
竹のふいごのようなものでフーフー吹いて
煙が目に染みたものでした

shibataさんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-07 18:53
  • edit
春 牡丹の咲くころ 大根島へ行ってみようかと思っています
牡丹の伝来は空海の頃ですか
和漢薬 牡丹の根皮を牡丹皮(ぼたんぴ)と称し
鎮痛・鎮静薬とするそうです
漢方では芍薬甘草湯のように芍薬も使われていますから
同じ科に属する牡丹が薬として中国から伝来したのもうなずけます

あずきさんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-07 18:42
  • edit
掘り炬燵で食べたぜんざいの味が忘れられなくて
毎年でかけますが じつはそのまったりとした時間が
恋しくなっていたのですね
四季折々 もちつき ひな祭り 端午の節句
懐かしい行事があるようです

美夕のママさんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-07 18:35
  • edit
これは庄屋の屋敷を再現したようです
木のぬくもりを感じる日本家屋はいいなと思いました
醤油やだった実家も建て替える前の母屋はこんなふうでした
醤油蔵は中を改造してそのまま残してあります
おくどさんでたく御飯にこだわった父のこと思い出します

ぴこさんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-07 18:18
  • edit
昔の家は梁も太く天井も高く
平屋で中庭があり夏は涼しかったですね
冬はこたつと長火鉢で充分暖かかったような
こたつで勉強すると眠くなるので困りましたね
醤油屋だったのですが山に十の屋号の入った徳利
何処へ行ったのでしょうね

すずさんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-07 18:11
  • edit
私の実家もこんなふうでした
父がおくどさんで炊く御飯にこだわって
土間にはおそくまでおくどさんがありました
もち米もこの釜で蒸して杵つき餅
餅つきの音がしないとお正月が来ない気がしました
親戚中集まって餅つき
いい時代でしたね

無題

  • pomodoro0208
  • 2011-02-07 14:35
  • edit
比婆の里は庄原市にあるのですね。
父の実家にこの景色ありましたよ。
おくどさんって言うんだったわね。(かまどのこと)
囲炉裏があって「もろぶた」って言ったかな?
甘酒を作る麹が並んでたわ。
祖母の家に行くと石臼をぐるぐる回して何を挽いたのかな?
大豆だったかな?
あぁ~いっぺんにあの頃にタイムスリップした見たい。
ひーちゃんありがとう。

ひばの里

  • 山小屋
  • URL
  • 2011-02-07 11:46
  • edit
ひばといえば「青森ひば」が有名です。
静岡の掛川城はこの青森ひばで造られています。
内部に入ると甘いひばの香りが漂っています。

この部屋には掘りごたつより、囲炉裏が似合いそうです。
炭火で焼くと何でも美味しいです。
生卵を濡らした新聞紙に包んで灰の中に入れておくと
焼き卵が出来上がります。
ゆで卵よりホカホカして美味しかったです。

フクジュソウかと思ったら、タンポポでした。
寒さにも強いようで1年中咲いています。

ほっこり!

懐かしい景色です。
み~んな心に残っています。
子供の頃祖父に連れられ「おじいちゃんの実家」に行ったことがあります。
東京から周防の国まで長い汽車の旅でした。

懐かしい風景

  • shibata
  • URL
  • 2011-02-06 19:41
  • edit
こんばんは
祖母の里がこんな風でした。
おくどさんに囲炉裏・・・・
もっと暗くて煙が目に染みました。
どこかほっとする風景です。

牡丹、島根の県花だったのですね。
冬牡丹にはそうとうな研究がされたのでしょう。
空海が薬として持ち帰った・・・とありました。

情緒がありますね

  • あずき
  • URL
  • 2011-02-06 19:21
  • edit
日本の一番いい時代が明治だったと聞きますが
この画像を見ていると、そんな気もします。
こんなお宿があったら泊まりたいですね
普通のお値段で・・・
こたつでおぜんざいまったりと、いい時間が過ぎましたね

無題

  • 美夕のママ
  • URL
  • 2011-02-06 10:56
  • edit
さすがに私はこの光景の中では育ちませんでした。
でもなぜか懐かしい感じがします。
立派な家ですね。
庄屋さんの家だったのかしら?

囲炉裏とくど

  • piko4438
  • URL
  • 2011-02-06 10:17
  • edit
すべて脳裏に残ってます
主人の家を見てるようです
今は区画整理にかかって面影も無いのですが
吉井に帰りたいのはこのような家の事でしょうね
くどの前に母親の姿が見えるのかもしれません
そんな雰囲気を思い出しました
この徳利まだ有ると思いますそれと雪見障子
懐かしいですね、日本家屋は風土によってはぐくまれたのでしょう、今の家は寒いし、暑いです

無題

  • すず
  • 2011-02-06 08:32
  • edit
明治時代といっても懐かしい物たくさん見えます。
私の実家も古い家です。
ふすまで仕切った座敷、炬燵、長火鉢、くどに羽釜
今はとても懐かしく感じます。
両親亡きあと空き家にしていますがまだ崩す気にはなれません。
懐かしさが詰まっているんですもの。

oriibuさんへ

  • ひーちゃん
  • 2011-02-06 07:52
  • edit
この茶碗籠は目籠(めご)というのですか
それから窓のある障子は雪見障子と言うのだったのですね
長火鉢も置いてありました
子供の頃学校から帰るといつも長火鉢の番をしていた祖父が
引き出しからかき餅を出してくれました
冬はこたつで蜜柑を食べました
なぜかあのころがよかった気がします
掘りごたつにあたって食べる 杵つき餅の入ったぜんざい
懐かしくて毎年出かけます

懐かしい!

私が育った家はこのような明治時代のおうちでした。
囲炉裏はありませんでしたが、おくどさんはありました。
洗った茶碗などを入れる 目籠(めご) 懐かしいですよ。 
それにやぐら炬燵 
掛け布団はこのようなおばあちゃんの織った綿の布団でした。
障子は雪見障子です。
今でもそのまま残っています。
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